「禁じ手」を次々越えていく光景―「山口2区当確」記述について。
「底」はどこまで抜けてしまうのか。抜ければ抜ける分だけ、加速度がついて止まらなくなる。 ネットサイトで「山口2区は岸信千代が当選確定」などという記事を見た。おかしいな、選挙はまだ終わっていないはずだ。 「調査の結果すでに決まってんだよバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…
タイトルではさらりと書きましたが、これが大変なのは言うまでもなし。いままでの感覚をはらってアップデートするなかであちこち軋轢も起きていて。対応の仕方を間違えると「向こう側に蹴り出す」できごと起きたり。見も蓋もないことを言えば「模索するなかで“衝突(理想との)”と“折り合い(合意)”を何回も何回も…ギアチェンジしながらしていく」しかないんじゃないですか。自分はそこに「最低限これはしない」という一線をひいて、立ち向かうしかない。 「目標地点」提示されたときは「道のり大変だぞこりゃ」思いました。右派の逆ネジとは違う「認識の違い」も起きるだろうと。腹の底から覚悟決めて、あたるとします。
「多数者が絶対正義」で「多数者に非ず者は消えろ」が蔓延るいまを生きる非多数者として。
世の非多数者側にいると、自分の近い箇所にいる人が「別サイド」にいることを多く目にすることがあり、その度々絶望感に陥ったりします。ほんでも「他者には他者の自我がある」のは当然で、絶望しきって可能性をゼロにしてしまったら元も子もないから色々刻み分ける。当たり前ですが認識として。 維新勢力や自民牽強主義者のように「口調強くして大きい声」で脅してしまえば、違う意見持つ人を圧倒することができて、それを何回も繰り返せば無力化してくれる、たまに無力化してくれないのもいるけどもそれは“気違い”として処分してしまえばいい―ざっと見たところ、こんな空気流れていますか。 物量・ 質量大きければそういう圧力は効く。物…
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